東京都知事選(1)「報道する側の責任」

東京都事選が告示され2月9日の投票へ向けて舌戦が繰り広げられている。今回は16人の候補者が立ち、1999年の19人に次いで2番目に多いということだ。ところが、報道を見る限り知名度の高い4人の政策が中心で、その他12名の主張は殆ど伝わってこない。新聞の論調をみると、一自治体の知事を選ぶ選挙といえども、原発・五輪を争点のトップに掲げ、「国政に直結した政策論戦は意義深い」と述べている。それならば、他の記事に優先して全候補の政策一覧を報道してしかるべきではないか。ところがそれが見当たらない。

東京都では詳しい政策が知らされているのであろうが、地方でも関心は高い。ましてや、新潟県は東京に電気を送っている「生産県」だ。原子力発電所立地自治体である柏崎市・刈羽村に住む者にとっては、他にも増して大きな関心事である。勿論、高度に発達した情報化社会の今日、新聞だけでなく他のツールから入手する方法もあろうが、不思議と16名全員の政策一覧は見つけにくいのである。くどいようだが、ここは一つマスコミに期待したい。我々の日常生活に深く根ざしている上に、国民世論に大きな影響力を持つ新聞にその役割を求めたい。それだけ東京都知事選は大きな国民的関心事なのだ。

ところで、聞くところによれば2月に4候補による「ネット討論会」が計画されているという。なんでも、ネット事業者7社共催によるものらしいが、これとても4候補者に限定されていると聞く。16人全員参加が実現しないのは、それなりの理由があるのかもしれないが、基本は全候補者に平等・共通の機会を設けるべきだし、有権者にもそれを聞く機会を提供することにあるだろう。紙面の制限や運営上の都合を理由に、平等を欠くことはやはりどう考えてもおかしい。改めて言うまでもない事だが、これでは既に土俵に上がる前から選別されていることになる。これ等のことに、素朴な疑問を抱いている国民は少なくないだろうと思う。報道する側や討論会を企画する側もよく考えてもろいたい。